shudaily

日記

2019/10/31

f:id:shudaiy:20191101015102j:plain

小城開人|「わたしはパイプではないのですか?」より


恵比寿に着き、会社に入る(今日はいきなり会社から)。監訳者の方から赤字が届いたので、自分の赤字とがっちゃんこさせる作業をひたすらおこなう。それとともに、監訳者の方にお送りした自分の赤字を見直して必要あらば修正したり、用語を統一したりしながらあらたに赤を加えていく。それにしても、一向に原著版元から使用する画像データが届かない。すでにデータ費はお支払いしているのだが。もうすぐ入稿であり、このままでは原著からスキャン&photoshopで補正コースになりそうだが、最後に手間を増やしたくないので届くことを祈るばかりである。すべての画像データをもらえるわけではなく、一部は自分で許可取りしてくれ、と言われている。そのうちのひとつはまだOKの返事が来ていないことに気がつき、冷や汗をたらす。その他はすでにOKとともにデータの受け取りを完了している。分野の中では大きな名前の方に直接メールを差し出したのだが、わりとすぐに返事が返って来たので、すごいというかエラい(上から目線)なと心からおもう。

校正作業と並行して、印刷所やデザイナさんとやりとりをする。ここ数日は、特にデザイナさんとの電話時間が増加傾向にある。日頃の業務の中でも好きな時間ではある(もちろん伝えづらいことを言わねばならない瞬間だって少なからずあるのだが)。ぼんやりとこんな感じかなと頭の中で想像していたデザインへと向かって、それいいですね、おもしろそうですね、いやそれは違います、などとコメントを投げつつ、時に発散しそうになりながらも結局は予想外の方向へと収束させていくプロセスは非常に楽しい。苦しいのは手を動かすデザイナさんであるのだから、なんとまあ呑気なことかと言われそうである。お互いに切断/決断をしないタイプだとあれもこれも状態になるので、ときに我に返って決断をする。とはいえこの世には予算とスケジュールという厳しくて尊くて悩ましい制約があるので、必然的にそうせねばならない。今回の本は(も)用紙が2転3転しているので印刷屋さんへの注文や相談が増える。そんなこんなしているともう夜になっている。

そういえば最近、とても衝撃的なことがあった。それは部決のときのことである。部決とは、営業部を交えて出版する本の価格と部数を決める会議のこと。今回は本自体の市場的な位置付けのむずかしさもあってか非常に難航し、タイトルや帯のテキストも含めて決定に至るまでに多くの時間を費やした。私のプレゼンが上手ければ……と強くおもうのだが、しかし特殊な内容なので仕方がないのだろうな。などと言いつつそんな本ばかりやっている気がするのであるが、それでいいようにもおもう。さて、衝撃的な出来事である。部決にて帯に載せる文章について議論してるときに、とあるひらがなの読み方を間違えていることを指摘されたのであった。そのひらがなとは「へ」。生まれてこの方、私は「へ」を「うぇ(we)」と呼んできた。もちろん「へ(he)」という呼び方は知っていたのだが、「へ(e)」の方を知らなかったのである。例えば「向こうへ(e)」は「向こううぇ」と口にしてきた。む・こ・う・え。間の抜けた耳触りに感じるのは私だけか……。一体、みんなはいつ「へ(e)」という呼び方を知ったの? 部決で「向こうへ(we)」と言ったとき、社内の人たちは呆れながら笑っておりました。28歳、秋のことである。

さて夜になったが、デザインのラフが一度あがって以降デザイナさんから更新の連絡がないので電話をかける。いろいろ話す。そろそろ時計の針が11時へと向かっていたので、一度帰る。その途中、新宿駅シマシマ模様の囚人服を着たコスプレイヤーを見かけた。ハロウィンである。彼女たちを眺めながら、昔読んだミシェル・パストゥローの『悪魔の布:縞模様の歴史』を思い出す。縞模様は、見てのとおり線が交互に繰り返される、つまり部分と全体の関係がかき乱され体系として成立しないものであるがゆえに無秩序や混乱の象徴とみなされていた(もちろんこれは遠近法を中心に据えるからこそ成り立つ考えなのだろうが)、みたいなことが書かれていたとおもう。当時はおもしろく読んだ記憶があるが、詳しい内容をいまいち覚えていない。コスプレイヤーは元気そうだった。

これから参考文献ページの原稿をまとめなければ。よっこらしょいのすけである。